このノートは北陸先史から明治時代までの十篇に続くもので、大正時代(1912〜1926)を扱う。前田家については廃藩後の経過を説明するため明治初年から書き、駒場本邸と加越能文庫は 1930 年、1948 年まで触れる。丘念台、八田與一らのその後も一文ずつ添えた。範囲は金沢、富山、小松が中心で、魚津、滑川、高岡、氷見、七尾にも及ぶ。
大正時代は 14 年あまりしかない。1918 年の米騒動は富山県沿岸の魚津、滑川などで相次ぎ、金沢でも 3,000 人あまりが集まった。金沢には市内電車、常設映画館、カフェー、最初の百貨店ができ、犀川大橋、浅野川大橋、県庁舎は大正後期に完成して今も市内に残る。第九師団はシベリアへ出兵し、普選運動は金沢で大会やデモ行進を行い、小松では小松製作所が生まれた。
一、大正時代と北陸
1912 年 7 月 30 日に明治天皇が崩御し、同日大正と改元された1。1926 年 12 月 25 日に大正天皇が崩御し、昭和と改元された2。
大正初めの北陸の交通では、1913 年 4 月に北陸本線の米原―直江津間が全通し、同年 9 月に日本海側初の路面電車である富山電気軌道(富山市内線)が開業した。開業は一府八県連合共進会の開催に合わせたものだった3。
二、1918 年の米騒動
魚津と滑川
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1918 年 7 月 23 日の午前 8 時ごろ、魚津町で仲仕が米を船に積んでいるのを見たおかみさんたちが次々に集まり、60 人ほどで仲仕や米俵につかまって積み出しを止めようとした。9 時すぎには十二銀行の倉庫前でも 50 人近くが仲仕と押し問答になった4。『富山日報』は 7 月 24、25 日付で魚津の米騒動を大きく報じ、『高岡新報』は 8 月 7 日付で滑川と水橋の米騒動を報じたが、その日のうちに発売禁止になった4。
魚津市教育委員会の冊子は、役所や警察の記録、新聞記事から見ると魚津の 7 月 23 日がいちばん早く、そのため魚津は「米騒動発祥の地」と呼ばれるとする。同じ冊子の年表には、証言によれば東水橋町では 6 月下旬または 7 月初めごろに動きがあったことも載っている4。騒動はその後県内各地に広がり、8 月 6 日には滑川町で 2,000 人規模の騒動が起きた4。
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十二銀行の倉庫は「旧十二銀行魚津支店事務所等(米倉)」として残っており、事前に申し込めばガイドの案内で内部を見学できる5。
金沢
8 月 12 日の夕刻、卯辰・大衆免方面の市民 3,000 人あまりが八幡町の宇多須神社に集まり、知事官舎、市長邸、富豪や米穀商など 20 軒あまりに押しかけて、白米 1 升 25 銭での売却を求めた1。金沢市は富豪有志らの拠金で内地米を買い入れ、16 日から平均価格より 10 銭安く売ることにした。廉売通帳を受け取った人は 2 日間で 1 万 3,248 人に達し、16 日の初日の購入者は 8,049 人、1 升 28 銭、1 人 3 升以内だった1。
8 月 20 日、前田家は金沢市へ 2 万円、石川県、富山県、東京府へ各 1 万円を寄付し、市はこれを白米購入費にあてた1。同じ日に前田家は金沢高等工業学校の新設費として 20 万円を寄付しているが、これは別の寄付である1。
この年の全国中等学校優勝野球大会は、各地の代表が決まったあと、米騒動のため中止された6。
三、廃藩後の前田家
明治篇では 1871 年の廃藩置県を取り上げたが、加賀藩主前田家のその後には触れていなかった。
最後の藩主前田慶寧(1830〜1874)は 1866 年に家督を継ぎ、版籍奉還後は金沢藩知事となった7。1874 年に熱海で没し、金石の銭五公園の入口近くには、在世中に温情をかけられた船手足軽が建てた慰霊碑がある。碑はもとは金石御船町の一角にあった8。
慶寧の長男利嗣(1858〜1900)は 1874 年に家督を継いだ前田家第 15 代当主で、1884 年 7 月に侯爵となり、1890 年から貴族院議員を務めた9。1883 年には前田家編輯方を設け、旧藩庁、旧藩臣、旧領各地の史料を書き写し、また収集した10。
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第 16 代利為(1885〜1942)は旧七日市藩 12 代利昭の五男で、1900 年に利嗣の養子となり、利嗣の死後に家督を継いだ11。当時の前田家は、江戸時代に加賀藩の上屋敷があった東京・本郷に住んでいた。利為は利嗣の計画を引き継いで本郷邸を新築し、日本館が先に、西洋館が 1907 年 12 月に竣工した11。1910 年 7 月 8 日には明治天皇が本郷邸に行幸している12。
関東大震災後、東京帝国大学が本郷キャンパスの拡張を望んだため、本郷の前田邸と駒場の農学部用地が交換され、1926 年に本郷邸は大学用地となった13。前田家は駒場に本邸を新築し、洋館は 1929 年、和館は 1930 年に竣工した14。同じ 1926 年、利為は育徳財団(今の前田育徳会)を設立した15。
利嗣の編輯方が集めた史料は前田育徳会が保管していたが、1948 年に金沢市に寄贈されて「加越能文庫」となった。34,405 点が金沢市立玉川図書館に所蔵されている10。
四、軍隊、普選と労働運動
第九師団
第九師団は 1914 年 3 月から七尾港を出て朝鮮の守備に就き、1916 年 5 月に金沢への帰還を始めた2。
1920 年 3 月から 5 月にかけての尼港事件では、陸海軍将兵 378 人と在留邦人約 350 人が殺され、その中には小松町出身の副領事石田虎松もいた2。1921 年 3 月 31 日、第九師団(師団長松浦寛威中将)はシベリア派遣の命令を受けた216。4 月 8 日から歩兵第 7 連隊を第一陣として各部隊が七尾港から次々に乗船し、4 月 11 日から 5 月 7 日にかけて浦塩(ウラジオストク)に上陸、第 11 師団と守備を交代した216。1922 年 9 月 18 日に全部隊が撤収し、10 月 8 日に師団司令部が金沢に帰還した。金沢市の年表は師団の戦没者を 108 人と記す162。撤兵前の 8 月 25 日には「第九師団西伯利派遣記念写真帖」が派遣将兵に頒布された16。
1923 年の関東大震災では、第九師団から歩兵第 7 連隊や歩兵第 35 連隊などが東京や神奈川に派遣された。1925 年の宇垣軍縮で歩兵第 35 連隊などが廃止された17。
普選と労働運動
1917 年 4 月の衆議院議員総選挙では、早稲田大学教授の永井柳太郎が金沢市部で 1,116 票を得たが、1,319 票の中橋徳五郎に敗れた。その後兼六園で感謝演説会を開き、「来たり、見たり、敗れたり」と述べた2。1920 年 5 月の総選挙では金沢市部で 3,305 票を得て当選した2。
1920 年 7 月 1 日、大日本労働総同盟友愛会金沢支部の大会が高岡町空地で開かれ、約 2,000 人が集まり、会長の鈴木文治が演説した2。1922 年 2 月 5 日には同じ空地で石川県普選断行同盟の大会が開かれ、閉会後に旗行列が行われた2。1925 年、普選法案の議会通過を受けて、4 月 3 日に兼六園長谷川邸跡で約 3,000 人の祝賀会が開かれた2。普通選挙法は 5 月 5 日に公布され、納税要件が撤廃されて満 25 歳以上の男子に選挙権が与えられた18。新法による最初の総選挙は 1928 年 2 月 20 日で、昭和に入ってからである19。
1924 年 7 月 5 日、金沢市は五宝町の西別院内に初めての市営託児所を設けた。在籍児 50 人、保母 2 人だった20。
五、産業と海外市場
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竹内明太郎は遊泉寺銅山用の鉱山機械をつくるため、1917 年に小松鉄工所を設立した。1921 年には遊泉寺銅山の閉山を見越して小松鉄工所を分離独立させ、株式会社小松製作所(今のコマツ)を創立した21。
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富山県営電気事業の上滝発電所は 1924 年に完成した。常願寺川左岸にある鉄筋コンクリート造 2 階建てで、2001 年に登録有形文化財となり、北陸電力が所有している22。同じ年、高岡の南部鋳造所では新式の溶解炉が建てられた。送風機で風を送り、その風を地金を溶かした排煙で熱する仕組みで、キュポラと煙突は登録有形文化財になっている23。
富山の売薬はこの時期、海外に目を向けていた。1918 年 12 月 12 日の『富山日報』は県内の海外輸出売薬業者を挙げ、ほかにも朝鮮や台湾へ移出する者が少なくないこと、輸出売薬の年産額は約 70 万円で、うち富山市が 58 万円を占めることを伝えている24。1919 年 1 月には県が第三回の海外輸出売薬振興協議会を開き、特別委員を設けることを決めた24。
六、学校と文学
学校
第四高等学校は 1917 年 10 月の創立 30 周年に、寄付金などで柔道・剣道・弓道の道場を兼ねた「無声堂」を建てた。建物は今は博物館明治村に移築されている25。金沢高等工業学校は 1921 年 4 月に開校し、土木、機械、応用化学の 3 学科があった2。1923 年 4 月には金沢医学専門学校が金沢医科大学に昇格した20。
室生犀星、竹久夢二、島田清次郎
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金沢生まれの室生犀星は、1918 年に感情詩社から『愛の詩集』と『抒情小曲集』、1919 年に『第二愛の詩集』を出し、1920 年には新潮社から小説集『性に眼覚める頃』を出版した26。金沢・千日町の生家跡には 2002 年に室生犀星記念館が建ち、近くには犀星が育った雨宝院や、詩碑のある「犀星のみち」がある27。
竹久夢二と笠井彦乃は 1917 年 8 月から 10 月にかけて 66 日間、北陸・加賀路を旅し、最後は金沢郊外の湯涌温泉に 3 週間ほど滞在した。その思い出は 1919 年 2 月刊の絵入り歌集『山へよする』の「里居」13 首に収められ、湯涌のお薬師の境内に夢二の歌碑がある28。
島田清次郎は 1899 年に美川町(今の白山市)で生まれ、5 歳のとき母と金沢に移った29。1919 年 6 月、生田長江の推薦で処女作『地上』第 1 部「地にひそむもの」を新潮社から出版した。金沢市の年表はたちまちベストセラーになったと書く。7 月 5 日には知人たちが兼六園の寄観亭で「地上の会」を開いた20。金沢・野町の西茶屋資料館は茶屋の外観を再現した施設で、島田清次郎の資料を中心に展示している30。
七、町の暮らし
電車、映画、カフェー、百貨店
1914 年 8 月に金沢―金石間の電車が開業した20。1919 年 2 月 1 日に金沢市内電車が部分開通し、この日は招待者の試乗で、営業運転は 2 日からだった。区間は金沢駅前から尾張町を経て上胡桃町までである20。
金沢では 1912 年に、悪漢が主人公の活動写真や小説『ジゴマ』が子どもに悪影響を与えるとして、年少者の観覧や図書館での閲覧を制限すべきだという説が出ている20。1913 年 10 月、香林坊の菊水倶楽部が昼夜 2 回の上映を始め、常設映画館の先駆けとなった。1914 年には香林坊のスメル館と尾張町の第二菊水倶楽部、1921 年には大活倶楽部ができた31。富山・総曲輪の「帝国座」は 1917 年 6 月 1 日に映画館となり、1924 年 4 月に全焼、12 月に再建されて「帝国館」となった32。
金沢最初のカフェーはカフェー・ブラジルだが、開業年には二つの記述がある。『金沢市史 通史編 3』は 1917 年に香林坊で開店とし、『金沢の百年』は 1919 年 11 月 3 日に石浦町で開店とする33。1923 年 11 月 1 日には片町の宮市洋物店が改築して宮市百貨店となり、金沢初の百貨店になった20。同じ年の 7 月には市営の香林坊、浅野川、巴町の 3 公設市場が開業している20。
1918 年秋にはスペインかぜが金沢にも入り、小将町、石引町、森山町、松ヶ枝町の各小学校のいくつかの学級で、1 週間の学級閉鎖が行われた。11 月中旬には全市の小学生 1 万 5,300 人あまりのうち 1 万 2,183 人が流感で欠席した1。
公園と遊園地
卯辰山公園は 1914 年 2 月に開園した34。1923 年 4 月 16 日、本多静六が日本庭園協会理事長として金沢市の招きで卯辰山を視察し、翌日には設計方針を講演した。新聞は「卯辰山を天下の名公園に」と、欧米の森林公園を説く本多の構想を大きく報じた35。
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金沢駅前の材木商平澤嘉太郎は、阪急の創業者小林一三の影響を受け、1925 年 5 月に浅野川電気鉄道の第一期線を開通させ、7 月 19 日に内灘に粟ヶ崎遊園を開いた。9 月には長さ約 60m の大山すべり台をもつ「コドモノクニ」も開いた36。
女学生と宣教師
金沢の女学生のあいだでは、明治 30 年代後半から大正中期まで「束髪」が流行した。1922 年に北陸女学校が県内で初めてセーラー服を採用し、以後束髪は見られなくなっていく37。金沢第二高等女学校は 1917 年に初めて倉ヶ岳登山遠足を行い、生徒は着物に袴、下駄で 12 時間以上歩いた。1920 年からはスキー実習も始め、校庭の斜面や大乗寺山で滑った38。
カナダの婦人宣教師たちは 1916 年に金沢で伝道を始め、1926 年にカナダ合同教会の婦人伝道師が「十四番幼稚園」を創設した。今の清泉幼稚園である39。
八、大正の建物

金沢の二つの大橋はどちらも大正期に架け替えられた。犀川大橋は 1919 年に鉄筋コンクリート橋になったが、1922 年 8 月の集中豪雨で崩壊した。今のワーレントラス式の鉄橋は関場茂樹の設計で、1924 年に完成した40。浅野川大橋は 3 径間連続の鉄筋コンクリートアーチ橋で、1922 年 12 月に竣工した41。橋の完成前に市内電車の大樋線が開通しており、車両 2 台を橋場町側から分解して運び、森下町の軌道上で組み立てた20。
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旧石川県庁舎は 1924 年竣工の鉄筋コンクリート造で、国会議事堂の設計に携わった大蔵省技師矢橋賢吉の設計である。2002 年 12 月の閉庁後、旧庁舎の一部を保存して石川県政記念しいのき迎賓館となった42。
明治篇でも取り上げた石川県立歴史博物館の赤レンガ 3 棟のうち、第 2 棟は 1913 年、第 1 棟は 1914 年に竣工した。博物館として再活用する際、外観は創建当時の姿に復元し、内装は新しくした43。隣の広坂別館は 1922 年に陸軍第九師団の師団長官舎として建てられ、2016 年に登録有形文化財となった。今は石川県立美術館の施設で、無料で入館できる44。にし茶屋街の西検番事務所も 1922 年の建物で、芸妓衆の稽古場兼事務所として建てられた。洋風の事務所棟と和風の稽古場棟からなり、通常は非公開である45。
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高岡・山町筋の旧高岡共立銀行は 1914 年 12 月の建築で、清水組の田辺淳吉が設計した。県内唯一の本格的なレンガ造りで、「赤レンガの銀行」と呼ばれてきた46。高岡市はこの建物の利活用を進めている46。
九、大境洞窟の発見
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1918 年、氷見郡宇波村大境の洞窟で、白山社の改築中に人骨、獣骨、土器などが出土した47。東京帝国大学人類学教室の柴田常恵は、7 月 1 日の『東京朝日新聞』に載った小さな記事に目を留め、3 日の夜行列車で氷見へ向かった。その報告は同月 25 日の『人類学雑誌』に載っている4849。同じ年の秋に柴田が中心となって本格的な発掘が行われ、縄文中期から近世までの文化層が確認された。1922 年 3 月 8 日に国の史跡に指定された4947。
十、中等学校野球
全国中等学校優勝野球大会は戦前の旧制中等学校の全国大会で、今の全国高等学校野球選手権大会の前身にあたる。1915 年に豊中で始まり、1916 年に北陸大会が新設され、1917 年から会場が鳴尾に移った6。1924 年 8 月に甲子園大運動場が完成し、この年の第 10 回大会から甲子園で行われた506。春の選抜大会は 1924 年に名古屋の山本球場で始まり、1925 年に甲子園へ移った51。
大正期に全国大会に出場した北陸の学校は、石川県が 1923 年の金沢商と 1924 年の金沢一中、福井県が 1925、1926 年の敦賀商で、富山県からの出場はなかった52。金沢商は 1923 年の 2 回戦で和歌山中に 2–9 で敗れ、金沢一中は 1924 年の 1 回戦で台北商に 2–6 で敗れた。台湾は 1923 年からこの大会に参加しており、台北商は台湾代表だった53546。敦賀商は 1925 年の 2 回戦で秋田商に 5–4 で勝ち、準々決勝で早稲田実に 4–11 で敗れた55。
十一、台湾との往来
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明治篇で取り上げた八田與一は、1917 年に米村外代樹と結婚し、嘉南平原の灌漑用ダムの調査を行った。1920 年に官田渓埤圳組合が設立されると組合技師となり、嘉南大圳が着工した。1922 年には工法の検討と大型土木機械の購入のためアメリカ、カナダ、メキシコを視察し、烏山頭出張所の所長となった56。
丘逢甲の子の丘念台(1894 年台中潭子生まれ)は 1913 年に渡日し、翌年第一高等学校予科に合格して広東省の留日公費生となった。予科を 1 年終えたあと金沢の第四高等学校に配属され、1919 年に東京帝国大学に入った57。戦後の 1961 年には楊亮功、蕭一山らとともに逢甲工商学院(今の逢甲大学の前身)を創立している58。
富山の売薬も台湾に及んでいた。先に挙げた 1918 年の『富山日報』は、朝鮮や台湾へ移出する業者が少なくないと書いている24。
1923 年 4 月に皇太子裕仁親王が台湾を訪れた際、台北州知事高田富蔵は「舟形花盛器」を献上した。タオ族の漁船と台湾の農村の水牛をかたどったもので、彫金は富山出身の飴谷有民と千葉出身の渡邉萬里が担当した。皇居三の丸尚蔵館に所蔵されている59。
十二、映像と後世の作品
大正期の北陸の山を写した映像として、次の山岳記録映画が残っている。伊藤孝一は大正後期に大規模な登山・撮影隊を組織し、積雪期の北アルプスを撮影した。『雪の立山、針の木越え』は 1923 年、『雪の薬師、槍越え』は 1923〜1924 年の撮影で、後者は 2000 年に音楽とナレーションを付けて作品化された60。
文部省が 1925 年に製作した『日本アルプス縱走 烏帽子嶽より燒嶽へ』(30 分、サイレント)は、国立映画アーカイブが公式 YouTube チャンネルで全篇を公開している6162。
後世の作品に登場する北陸の出来事と場所:
- 映画『大コメ騒動』(2021 年公開):1918 年の富山の米騒動を題材にした作品で、富山市出身の本木克英が監督した。撮影は 2019 年 10 月 26 日から 31 日まで富山市内で行われ、初日は岩瀬浜だった63。全国公開は 2021 年 1 月 8 日64。
- 松本清張『波の塔』:1959 年 5 月から 1960 年 6 月まで『女性自身』に連載された小説で、大境洞窟が出てくる。遺跡めぐりが趣味の主人公の検事がここを訪れた設定になっている49。
1926 年 12 月 25 日に大正天皇が崩御し、昭和と改元された2。
十三、いま訪ねられる場所
| 地域 | 場所 | 種類 | 説明 |
|---|---|---|---|
| 魚津 | 旧十二銀行米倉 | 建物 | 1918 年の米騒動の倉庫。内部見学は原則 10:00〜16:00、1 週間前までに魚津駅観光案内所へ電話で申し込み、ガイド同行(有料)。12/29〜1/3 休み5 |
| 金沢 | 犀川大橋 | 橋 | 1924 年のワーレントラス鉄橋40 |
| 金沢 | 浅野川大橋 | 橋 | 1922 年の鉄筋コンクリートアーチ橋41 |
| 金沢 | 石川県政記念しいのき迎賓館 | 建築 | 1924 年の旧県庁舎、一部を保存42 |
| 金沢 | 広坂別館(旧第九師団長官舎) | 建築 | 9:30〜17:00(入館は 16:30 まで)、無料。12/29〜1/3 休館、行事による休館あり44 |
| 金沢 | 石川県立歴史博物館 | 建築・博物館 | 1913、1914 年竣工の赤レンガ兵器庫43 |
| 金沢 | 西茶屋資料館・西検番事務所 | 展示施設・建築 | 島田清次郎の資料。西検番は通常非公開3045 |
| 金沢 | 室生犀星記念館 | 展示施設 | 犀星の生家跡27 |
| 金沢 | 金沢湯涌夢二館 | 展示施設 | 夢二が 1917 年に滞在した湯涌28 |
| 金沢 | 卯辰山公園 | 公園 | 1914 年開園34 |
| 金沢 | 金石銭五公園 | 公園・碑 | 前田慶寧公慰霊碑8 |
| 小松 | こまつの杜 | 企業施設 | 小松製作所の創業の地。開館日は公式サイトで確認21 |
| 高岡 | 旧高岡共立銀行 | 建築 | 1914 年の赤レンガの銀行。一般公開の情報は見当たらず、外観のみ46 |
| 氷見 | 大境洞窟住居跡 | 史跡 | 1918 年発見、1922 年国史跡指定47 |
参考資料
Footnotes
-
金沢市図書館「市史年表 金沢の百年 大正・昭和編」(1912 年 7 月 30 日改元。1918 年 8 月 12 日宇多須神社の集会、8 月 15〜16 日の廉売、8 月 20 日の前田家の寄付と高等工業学校への寄付。1918 年 10 月 29 日・11 月 15 日の流感):https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/shishinenpyou_t.htm ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5 ↩6
-
金沢市図書館「市史年表 金沢の百年 大正・昭和編」(1914 年 3 月第九師団渡鮮、1916 年 5 月 1 日帰還。1917 年 4 月 22 日・1920 年 5 月 11 日の選挙結果と永井柳太郎。1920 年 3 月 12 日尼港事件と石田虎松。1920 年 7 月 1 日友愛会。1921 年 3 月 31 日出動命令、4 月 8 日七尾港からの輸送、同日金沢高等工業学校開校。1922 年 2 月 5 日普選大会、10 月 8 日師団司令部帰還と戦没者 108 人。1925 年 4 月 3 日普選通過祝賀会。1926 年 12 月 25 日改元):https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/shishinenpyou_t.htm ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5 ↩6 ↩7 ↩8 ↩9 ↩10 ↩11 ↩12 ↩13
-
富山市郷土博物館 企画展「市電開通!!-富山市の路面電車100周年-」(2013 年の展示。1913 年 4 月北陸本線全通、同年 9 月富山電気軌道開業、一府八県連合共進会):https://www.city.toyama.toyama.jp/etc/muse/kikakuhaku/list/h25/2502/2502.html ↩
-
魚津市教育委員会『魚津でおこった米騒動』(1918 年 7 月 23 日、60 人ほどと 50 人近くのおかみさんたち、十二銀行の倉庫。公的記録や新聞からは一番早い、「米騒動発祥の地」。東水橋町 6 月下旬または 7 月初旬。8 月 6 日滑川町 2,000 人規模。『富山日報』7 月 24・25 日、『高岡新報』8 月 7 日発売禁止):https://www.city.uozu.toyama.jp/attach/EDIT/036/036319.pdf ↩ ↩2 ↩3 ↩4
-
魚津市「魚津の米騒動ゆかりの地 旧十二銀行魚津支店事務所等(米倉)の見学について」(2026 年 7 月 9 日更新。見学時間、1 週間前までの申込み、ガイド料、休業日):https://www.city.uozu.toyama.jp/guide/svGuideDtl.aspx?cd=3103&cdkb=ctg&servno=25798&topkb=G ↩ ↩2
-
日本高等学校野球連盟「大会小史 選手権大会」(1915 年第 1 回豊中、1916 年北陸大会新設、1917 年鳴尾へ、1918 年代表決定後に米騒動で中止、1923 年台湾参加、1924 年阪神甲子園球場完成):https://www.jhbf.or.jp/sensyuken/history/ ↩ ↩2 ↩3 ↩4
-
石川県立図書館 SHOSHO「前田慶寧」(1830〜1874、加賀藩最後の第 14 代藩主、金沢藩知事、1866 年相続):https://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/shosho/furucolle/list/prsn11490 ↩
-
ほっと石川旅ねっと「金石銭五公園」(1874 年に熱海で没した前田慶寧公の慰霊碑、船手足軽が建立、もと金石御船町):https://www.hot-ishikawa.jp/spot/detail_22466.html ↩ ↩2
-
石川県立図書館 SHOSHO「前田利嗣」(1858〜1900、前田家 15 代当主、1874 年 7 月 12 日相続、1884 年 7 月侯爵、1890 年貴族院議員):https://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/shosho/furucolle/list/prsn11408 ↩
-
石川県教育委員会「寛文七年金沢図・加越能文庫」(1883 年に利嗣が前田家編輯方を設立、1948 年金沢市に寄贈、34,405 点、金沢市立玉川図書館):https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/bunkazai/rekishishiryou/k-17.html ↩ ↩2
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石川県立美術館「前田利為のコレクション」(2023 年の展覧会。利為は 1885 年生まれ、旧七日市藩 12 代利昭の五男、1900 年利嗣の養子。本郷邸西洋館 1907 年 12 月、日本館はその 2 年前に竣工):https://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/exhibition/exhibition-14717/ ↩ ↩2
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東京大学総合研究博物館「東京大学本郷キャンパスの歴史と建築」(利嗣の行幸の宿願を利為が実現、1910 年 7 月 8 日明治天皇行幸):https://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/dkankoub/publish_db/1997Avantgarde/21.html ↩
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東京大学埋蔵文化財調査室「東大の遺跡」本郷地区(関東大震災後に本郷前田邸と駒場農学部の土地交換、1926 年大学用地):https://www.aru.u-tokyo.ac.jp/utokyo-sites.html ↩
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東京都生涯学習情報「建物の歴史・説明|旧前田家本邸」(利為 1885〜1942、16 代当主。1926 年等価交換と地鎮祭、洋館 1929 年・和館 1930 年竣工):https://www.syougai.metro.tokyo.lg.jp/sesaku/maedatei/history.html ↩
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東京国立博物館 特別展「百万石!加賀前田家」(2026 年の展覧会。利為が 1926 年に育徳財団、今の前田育徳会を設立):https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2740&lang=ja ↩
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防衛研究所戦史研究センター「第九師団西伯利派遣記念写真帖」(1921 年 3 月 31 日の命令、師団長松浦寛威、七尾港出港、4 月 11 日〜5 月 7 日浦塩上陸、第 11 師団と交代、1922 年 9 月 18 日撤収、8 月 25 日写真帖頒布):https://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/201403/02.pdf ↩ ↩2 ↩3 ↩4
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アジア歴史資料センター「第9師団」(1921 年 4 月ウラジオストク派遣、1923 年関東大震災で歩兵第 7・第 35 連隊等を東京・神奈川に派遣、1925 年宇垣軍縮で歩兵第 35 連隊等廃止):https://www.jacar.go.jp/exhibition/glossary/term4/0010-0080-0100.html ↩
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国立公文書館「普通選挙法が制定される」(1925 年 5 月 5 日公布、納税要件撤廃、満 25 歳以上の男子):https://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/t14_1925_03.html ↩
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国立公文書館「最初の普通選挙が実施される」(1928 年 2 月 20 日第 16 回衆議院議員総選挙):https://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/s03_1928_01.html ↩
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金沢市図書館「市史年表 金沢の百年 大正・昭和編」(1912 年 10 月 8 日ジゴマ。1914 年 8 月 11 日金石電車。1919 年 2 月 1〜2 日市内電車。1919 年 6 月 1 日『地上』、7 月 5 日「地上の会」。1922 年 7 月 13 日大樋線。1923 年 4 月 1 日金沢医科大学、7 月 10 日公設市場、11 月 1 日宮市百貨店。1924 年 7 月 5 日市営託児所):https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/shishinenpyou_t.htm ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5 ↩6 ↩7 ↩8 ↩9
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コマツ「コマツのこれまでとこれから」(竹内明太郎、遊泉寺銅山、1917 年小松鉄工所、1921 年閉山を見越して株式会社小松製作所を創立):https://www.komatsu.jp/ja/recruit/past-future/identity ↩ ↩2
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文化遺産オンライン「上滝発電所」(1924 年、鉄筋コンクリート造 2 階建、常願寺川左岸、北陸電力所有、2001 年 10 月 12 日登録有形文化財):https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/115457 ↩
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日本遺産ポータル「旧南部鋳造所キュポラ及び煙突」(1924 年建設、地金を溶解した煙で送風を加熱、登録有形文化財):https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/302/ ;金屋町万華鏡「金屋町ゆかりの文化財」(キュポラの送風機と、排煙で送風を熱する仕組み):https://nettoko.kanaya-machi.com/satoko/bunnka.html ↩
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富山県『富山県薬業史 資料集成 下巻』(1983)Ⅴ「海外売薬」931〜932 頁:資料 585「大正七年十二月 輸出売薬業者」(出典『富山日報』1918 年 12 月 12 日。「其他朝鮮及台湾地方へ移出する者少からざるが輸出売薬年産額約七十万円にして内富山市にて五十八万円を占め」)、資料 586「大正八年一月 海外輸出売薬振興に関する協議会」:https://www.pref.toyama.jp/documents/28270/s_kaigaibaiyaku.pdf ↩ ↩2 ↩3
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金沢大学附属図書館「第四高等学校関連年表」(1917 年 10 月 26 日創立 30 周年と無声堂、現在は博物館明治村に移築):https://library.kanazawa-u.ac.jp/files/event/shiko120/history.htm ↩
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室生犀星記念館「室生犀星著書一覧」(『愛の詩集』1918 年 1 月 1 日、『抒情小曲集』1918 年 9 月 10 日、『第二愛の詩集』1919 年 5 月 5 日、『性に眼覚める頃』1920 年 1 月 5 日):https://www.kanazawa-museum.jp/saisei/saisei/chosholist.html ↩
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室生犀星記念館「館の概要」(生家跡に建つ、2002 年 8 月 1 日開館、雨宝院、犀星のみち、千日町 3 番 22 号):https://www.kanazawa-museum.jp/saisei/outline/index.html ↩ ↩2
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金沢湯涌夢二館「湯涌-『懐し』の地」(1917 年 8〜10 月の 66 日にわたる北陸・加賀路の旅、9 月下旬〜10 月の 3 週間の湯涌滞在、1919 年 2 月『山へよする』「里居」13 首、お薬師境内の歌碑):https://www.kanazawa-museum.jp/yumeji/about/p03_yuwaku.html ↩ ↩2
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白山市「島田清次郎略年表」(1899 年 2 月 26 日美川町字南町に生まれる、1904 年 5 歳で母と金沢へ):https://www.city.hakusan.lg.jp/bunka/bunkashinko/1002773/1002802/1002803.html ↩
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金沢市「西茶屋資料館」(野町 2-25-18、茶屋家屋の外観を再現、島田清次郎の資料が中心):https://www4.city.kanazawa.lg.jp/soshikikarasagasu/kohokochoka/gyomuannai/6/2/6335.html ↩ ↩2
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石川県立歴史博物館「金沢市内映画館パンフレット」(1913 年 10 月菊水倶楽部、1914 年 7 月スメル館、1914 年 6 月第二菊水倶楽部、1921 年大活倶楽部):https://www.ishikawa-rekihaku.jp/collection/detail.php?cd=GI00361 ↩
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富山市立図書館「レファレンス事例集【歴史】」帝国館(『総曲輪懐古館』からの引用:1917 年 6 月 1 日帝国座、1924 年 4 月全焼、12 月再建して帝国館):https://www.library.toyama.toyama.jp/reference/example-history/ ↩
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レファレンス協同データベース(金沢市図書館)「金沢最初の喫茶店について」(『金沢市史 通史編 3 近代』518〜519 頁:1917 年香林坊。『金沢の百年 大正・昭和編』53 頁:1919 年 11 月 3 日石浦町):https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000190327&page=ref_view ↩
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金沢市「卯辰山公園施設紹介」(1914 年 2 月開園):https://www4.city.kanazawa.lg.jp/soshikikarasagasu/midoritohananoka/gyomuannai/5/1/9410.html ↩ ↩2
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久喜市「博士が設計、改造に携わった全国各地の公園」卯辰公園(1923 年 4 月 16 日視察、翌日講演、新聞見出し):https://www.city.kuki.lg.jp/miryoku/rekishi_bunkazai/honda_00/1006360.html ↩
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内灘町歴史民俗資料館「粟ヶ崎遊園の誕生」(平澤嘉太郎、小林一三の影響、1925 年 5 月 10 日浅野川電気鉄道第一期、7 月 19 日開園、9 月コドモノクニ):https://www.town.uchinada.lg.jp/site/uchinada-history/12527.html ↩
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金沢くらしの博物館「金沢の女学生」3.制服・校風(束髪は明治 30 年代後半から大正中期まで流行、1922 年北陸女学校が県内初のセーラー服):https://www.kanazawa-museum.jp/minzoku/blog/past_202407.html ↩
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金沢くらしの博物館「金沢の女学生」7.遠足と登山(第二高女 1917 年倉ヶ岳登山遠足、12 時間以上、1920 年からスキー実習):https://www.kanazawa-museum.jp/minzoku/blog/past_202410.html ↩
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清泉幼稚園「園について」(1916 年カナダ婦人宣教師の伝道開始、1926 年十四番幼稚園創設):https://seisen.net/about.php ↩
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国土交通省 金沢河川国道事務所「犀川大橋について」(1919〜1922 年の鉄筋コンクリート橋、1922 年 8 月集中豪雨で崩壊、関場茂樹設計、1924 年完成):https://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/road/saigawa/about/ ↩ ↩2
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国土交通省 金沢河川国道事務所「浅野川大橋データ」(3 径間連続 RC 固定アーチ橋、1922 年 12 月竣工):https://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/mb2_jigyo/bunkazai/asanogawa/data/data.html ↩ ↩2
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しいのき迎賓館「しいのき迎賓館について」(1924 年竣工、矢橋賢吉設計、2002 年 12 月 27 日閉庁、年表では 2003 年に鞍月の新県庁舎へ移転、旧県庁舎の一部を保存):https://shiinoki-geihinkan.jp/about/ ↩ ↩2
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石川県立歴史博物館「博物館の紹介」(第 2 棟 1913 年、第 1 棟 1914 年竣工、外観は創建当時の姿に復元):https://www.ishikawa-rekihaku.jp/about/ ↩ ↩2
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石川県立美術館「広坂別館」(1922 年に陸軍第九師団長官舎として建築、開館時間、休館日、無料):https://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/guide/hirosaka/ ;文化遺産オンライン「石川県立美術館広坂別館(旧陸軍第九師団長官舎)」(2016 年 11 月 29 日登録):https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/284346 ↩ ↩2
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金沢市「西検番事務所」(大正 11 年、洋風の事務所棟と和風の稽古場棟、2003 年登録):https://www4.city.kanazawa.lg.jp/soshikikarasagasu/bunkazaihogoka/gyomuannai/3/1/1/touroku/1/6087.html ;金沢市観光協会「にし茶屋街」(通常非公開):https://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/article/detail_76.html ↩ ↩2
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高岡市「山町筋を代表する伝統的建造物」(旧高岡共立銀行 1914 年 12 月、清水組・田辺淳吉設計、県内唯一の本格的なレンガ造り):https://www.city.takaoka.toyama.jp/soshiki/kyoikuiinkai_bunkazaihogokatsuyoka/1/4/3/1/2372.html ;高岡市「赤レンガの建物(旧高岡共立銀行)の利活用」(2025 年 9 月 1 日更新):https://www.city.takaoka.toyama.jp/soshiki/kikakuka/2/17/12922.html ↩ ↩2 ↩3
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氷見市立博物館「近隣史跡案内」(1918 年白山社改築の際に人骨・獣骨・土器類が出土、縄文中期から近世までの文化層):https://www.city.himi.toyama.jp/section/museum/kinrin.html ↩ ↩2 ↩3
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柴田常恵「越中國氷見郡宇波村大境の白山社洞窟」『人類學雜誌』33 巻 7 号、1918 年 7 月 25 日、179 頁から(冒頭:「七月一日の東京朝日新聞には、越中の高岡方面よりの通信として發掘に關する簡單なる記事が載つて居た」):https://doi.org/10.1537/ase1911.33.179 ↩
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氷見市『広報ひみ』No.777(2018 年 7 月)4〜5 頁「国指定史跡 大境洞窟住居跡 発見から100年」(7 月 1 日の東京朝日新聞、3 日の夜行列車、同年秋の本格発掘、1922 年 3 月 8 日国指定史跡。『波の塔』は 1959 年 5 月〜1960 年 6 月『女性自身』連載):https://www.city.himi.toyama.jp/material/files/group/2/05266275.pdf ↩ ↩2 ↩3
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阪神電気鉄道「HANSHIN HISTORY」1905〜1924(1916 年鳴尾運動場、1924 年甲子園大運動場):https://www.hanshin.co.jp/company/history/history-story/ ↩
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日本高等学校野球連盟「大会小史 選抜大会」(1924 年第 1 回名古屋八事山本球場、1925 年第 2 回阪神甲子園球場):https://www.jhbf.or.jp/senbatsu/history/ ↩
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日本高等学校野球連盟「出場校一覧」第 6 回~第 10 回、第 11 回~第 15 回(石川:1923 金沢商、1924 金沢一中。福井:1925・1926 敦賀商。富山欄は空白。台湾:1923 台北一中、1924 台北商業):https://www.jhbf.or.jp/sensyuken/outing/06-10.html ;https://www.jhbf.or.jp/sensyuken/outing/11-15.html ↩
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朝日新聞社・日刊スポーツ「第 9 回全国中等学校優勝野球大会」(2 回戦 和歌山中 9–2 金沢商):https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y1923.php ↩
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朝日新聞社・日刊スポーツ「第 10 回全国中等学校優勝野球大会」(1 回戦 台北商 6–2 金沢一中):https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y1924.php ↩
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朝日新聞社・日刊スポーツ「第 11 回全国中等学校優勝野球大会」(2 回戦 敦賀商 5–4 秋田商、準々決勝 早稲田実 11–4 敦賀商):https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y1925.php ↩
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金沢ふるさと偉人館「八田與一 年譜」(1917 年結婚と嘉南平原の調査、1920 年官田渓埤圳組合技師と嘉南大圳着工、1922 年米・加・墨視察と烏山頭出張所長):https://www.kanazawa-museum.jp/ijin/exhibit/05hatta_history.html ↩
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范智盈「二戰前在日客家人相關考察:以丘念台與東寧學會為中心」『全球客家研究』13 期(2019 年 11 月)156 頁(丘念台『嶺海微飆』1962 年、79〜101 頁を引用):https://ghk.hakka.nycu.edu.tw/issueArticle.asp?CA_ID=536&P_No=50 ↩
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中央社「開箱老照片》逢甲工商學院成立」(2025 年 1 月 13 日。民国 50 年に丘念台、楊亮功、蕭一山らが私立逢甲工商学院を創立):https://www.cna.com.tw/news/ahel/202501135002.aspx ↩
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皇居三の丸尚蔵館「舟形花盛器」(大正 12 年、図案 中川泳舟、彫金 飴谷有民〈富山〉・渡邉萬里〈千葉〉。1923 年 4 月の皇太子台湾行啓の際、台北州知事高田富蔵が献上):https://collection.shozokan.nich.go.jp/object/SZK002727 ↩
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東京都写真美術館「山岳映画 特集上映」(2014 年。『雪の立山、針の木越え』1923 撮影、『雪の薬師、槍越え』1923–1924 撮影・2000 年作品化、制作 伊藤孝一):https://topmuseum.jp/movie/2271/ ↩
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国立映画アーカイブ「フィルムは記録する」『日本アルプス縱走 烏帽子嶽より燒嶽へ』(1925 年、30 分、サイレント、文部省製作):https://filmisadocument.jp/films/view/186 ;YouTube(国立映画アーカイブ公式チャンネル):https://www.youtube.com/watch?v=e4cUryidAU4 ↩
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国立映画アーカイブ「このサイトについて」(ストリーミング再生については館との手続き不要):https://filmisadocument.jp/pages/about ↩
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富山市「富山の米騒動を題材にした映画『大コメ騒動』の撮影が市内で行われました」(2019 年 10 月 26〜31 日、初日は岩瀬浜。令和 3 年公開予定):https://www.city.toyama.lg.jp/shisei/koho/1010848/1010852/1002727.html ↩
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ソニーミュージック 米米CLUB「ニューシングル『愛を米て』、映画『大コメ騒動』主題歌に決定」(2020 年 10 月 21 日。映画は 2021 年 1 月 8 日全国公開):https://www.komekomeclub.net/artist/Komekome/info/523204 ↩