このノートは北陸先史・飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町・戦国後期の七篇に続くもの。今回は江戸時代の前期と中期に入り、17 世紀初めから 1780 年前後までを書く。範囲は今回の旅で通る金沢、富山、小松が中心で、高岡の瑞龍寺、白山麓、富山南部の猪谷を加える。近世の月日は当時の日本の暦(和暦)によるもので、特記しない限りグレゴリオ暦の月日には換算していない。年には西暦を併記した。

戦国後期篇は 1600 年、浅井畷の戦いののち能美郡も前田利長のものとなったところまで書いた。江戸時代の加賀・能登・越中は、大部分が前田家の領地である。三地の位置づけはこの時期それぞれ異なる。金沢は加賀藩の城下町、富山は 1639 年前後に分家富山藩の居城となり、小松は 3 代藩主前田利常の隠居地だった。

本文に出てくる江戸前中期関連の地点。範囲をもつ地点は代表点で示した。マーカーをクリックすると Google Maps で開く。地図の表記は中国語(繁体字)。地図:© OpenStreetMap contributors © CARTO。⚠ お出かけ前に公式情報でご確認ください。

一、江戸時代と加賀藩

江戸時代は一般に、1603 年に徳川家康が征夷大将軍となって江戸に幕府を開いてから、1868 年に明治へ改元されるまでの 265 年間とされる1。よく使われる細分は、初期・前期(1603 年〜1690 年ごろ)、中期(1690 年ごろ〜1780 年ごろ)、後期(1780 年ごろ〜1850 年ごろ)、末期(1853〜1868 年)である1。このノートは前の二つを扱う。

石川県立歴史博物館の常設展解説によれば、加賀藩の歴史は 1581 年に前田利家が能登一国を与えられたことに始まり、秀吉から拝領した北加賀二郡・越中三郡、関ヶ原の戦い後に得た南加賀二郡を加えて、領地は百万石を超えた。前田家は外様大名だが、将軍家と姻戚関係を結び、幕府内で徳川御三家に準じる待遇を受けた2。

二、1639 年:利常の分藩と小松隠居

前田利常像(作者不詳)

加賀藩 3 代藩主前田利常。富山・大聖寺の二藩を分けたのち小松に隠居した。出典:Wikimedia Commons

富山市の解説によれば、富山藩は寛永 16 年(1639)に 3 代将軍徳川家光の許可を得て成立した。加賀藩 3 代藩主前田利常が隠居し、次男利次に富山十万石、三男利治に大聖寺七万石を分封した。十万石以上を分与された分家はほかに例がない3。利次は当初、幕府の許可を得て富山の百塚に新城を築こうとしたが中止し、加賀藩との所領替えによって、廃城となっていた富山城を正式な居城とすることを許され、幕末まで藩城とした3。富山市民俗民芸村売薬資料館の年表は、富山藩の加賀藩からの分藩を寛永 17 年(1640)とする4。富山市の二つの資料で一年の差があるため、ここでは両方の年を示した。

利常自身の隠居地は小松である。小松市の資料によれば、寛永 16 年(1639)に利常が小松城を隠居城とすることを幕府に許されると本格的に造営し、翌年入城、万治元年(1658)に没するまで使った。当時、城の周りは湿地帯で梯川が取り巻き、芦城、小松浮城とも呼ばれた5。戦国後期篇で丹羽長重が拠った城と同じである。

小松城天守台(本丸櫓台石垣)

現存する本丸櫓台石垣は県立小松高校の敷地内にある。出典:Wikimedia Commons(CC0)

現在残る建物や石垣は、来生寺の寺門として移された鰻橋御門と、県立小松高校敷地内の本丸櫓台石垣だけで、発掘調査では地中から石垣・堀・いぶし瓦が見つかっている6。小松市は、櫓台を見学できるかどうかは各施設に問い合わせるよう案内している6。

小松市の資料はまた、寛永 17 年(1640)に利常が小松城に隠居すると城下に武士・職人・商人が住み始めたと書く7。明暦 3 年(1657)には利常が小松天満宮を造営した。小松城と金沢城の鬼門の線上に正確に置くことで、加賀藩を守るためだったといわれる8。別当には連歌師で北野天満宮神官の能順を招いた5。那谷寺も利常が寛永 17 年に再興し、三重塔・本堂・護摩堂・鐘楼・書院を建てた5。室町篇で一向一揆の戦火で荒廃したと書いた寺である。

小松天満宮 拝殿

梯川のほとりに建つ小松天満宮。撮影:Towacoco、ライセンス:CC BY 4.0、WebP に変換。出典:Wikimedia Commons

金沢と富山の間の高岡には、利常が兄利長のために整えた菩提寺、瑞龍寺がある。高岡市の説明によれば、利長は慶長 14 年(1609)に高岡城を築き、慶長 19 年(1614)に没した。利常は利長の三十三回忌にあたる正保 3 年(1646)に墓所を造営するとともに寺の大改造に着手し、加賀藩御大工山上善右衛門嘉広を棟梁に任じた9。明和 8 年(1771)の「高岡町図の弁」によれば、山門・仏殿・法堂などの主要伽藍は正保・明暦・万治年間に建てられ、回廊などは遅くとも寛文 3 年(1663)には完成していた。承応 2 年(1653)に着手したとする説も提唱されている9。仏殿・法堂・山門は国宝で、現在の山門は焼失後に文政元年(1818)に再建されたものである9。

高岡山瑞龍寺

利長の菩提寺。利常の時代に整えられた伽藍。撮影:柑橘類、ライセンス:CC BY-SA 3.0、縮小して WebP に変換。出典:Wikimedia Commons

三、金沢城下:用水、庭園、東照宮と城下町図

金沢城は寛永 8 年(1631)に金沢町の火災で焼失し、翌寛永 9 年(1632)に辰巳用水が完成して城に水が引かれた10。金沢市の説明は『三壺聞書』を引き、寛永 8 年の法船寺大火を契機に金沢城の水利改善を目的として造られ、上流部では隧道、最下流部では伏越(逆サイフォン)を用いて、一年足らずで完成したとする11。伏越には当初木管を使い、のちに石管に改修された11。取水口は犀川上流右岸の上辰巳町にあり、今も兼六園の曲水の水源となっている。中流部の錦町から大道割までの約 2km は遊歩道として整備されている11。

辰巳用水

城下を流れる辰巳用水と石碑。出典:Wikimedia Commons(Public domain)

城内の玉泉院丸庭園は、利常が寛永 11 年(1634)に作庭を始めた大名庭園で、江戸時代末期まで存在し、廃藩とともに失われた。2015 年に発掘調査と古絵図をもとに再現された12。名は 2 代藩主利長の正室玉泉院(永姫)がここに屋敷を構えていたことに由来する。背後の「色紙短冊積石垣」の上部には、辰巳用水を源とする「段落ちの滝」が組み込まれている12。

玉泉院丸庭園(2015 年再現)

現在の庭園は発掘と古絵図にもとづいて復元された景観である。出典:Wikimedia Commons(Public domain)

尾崎神社は、4 代藩主前田光高が幕府の許可を受けて金沢城北ノ丸に勧請した東照宮で、幕府大工頭木原氏の設計をもとに加賀藩の大工らが施工し、寛永 20 年(1643)に完成した。金沢市は、本殿と拝殿を分離させた東照宮建築の最初期のものとしている13。明治 11 年(1878)に現在地へ移転した13。

尾崎神社(金沢市丸の内)

雪の中の尾崎神社の朱塗りの瑞垣。出典:Wikimedia Commons(CC0)

石川県立図書館の解説は次のとおりである。加賀藩による本格的な測量にもとづく城下町図の作成は、正保年間(1644〜48)に幕府に提出を命じられてからとされ、藩の普請会所で万治 3 年(1660)、寛文 7 年(1667)、延宝年間(1673〜81)に大型城下図が作成された。万治 3 年図は確認されていないため、寛文 7 年図が現存する巨大城下図で最古となる14。寛文図は 5.6m 余りの大きさで、縮尺は 1 間を 1 分で表した分間図(1/600)、藩主から城下に拝領地を得た人々の屋敷位置を示すために作られたと考えられている。延宝図と比べると、惣構の外での与力町の形成、城下町の外延的拡大、地子町の急増など、約 7 年間の変化が読み取れる14。いずれも石川県指定文化財である14。

四、村御印と年貢

石川県立歴史博物館の解説は、加賀藩が「改作法」を祖法としていたことに触れている2。富山県立図書館の解説によれば、御印物とは各村への年貢割付状で、村御印または物成状ともいい、藩主の花押・印があり、村では肝煎宅で厳重に保管された。富山藩は承応 4 年(1655)に交付したが、万治 3 年(1660)の領替まで加賀藩領だった新川郡の村では、加賀藩が交付した明暦 2 年(1656)のものをそのまま使った15。石川県立歴史博物館の常設展にも寛文 10 年(1670)の村御印が展示されている2。

小松市立博物館所蔵の西又村村御印には、館による全文の翻刻が付いている。冒頭は「加州能美郡西又村遠山奥貮拾五ヶ村之内」で、草高二百九十二石、免三ツ三歩。続いて定納口米、銀子で納める分の額、夫銀、「壱貫八拾目 山役」が並び、奉行人・十村・肝煎が何を言っても「此印面之外/一圓承引仕間鋪候」と記す16。文末は「寛文十年/九月七日御印」である。館の解説によれば、この一紙は寛延 3 年(1750)4 月に加賀藩算用場から再発行されたもので、宝永年間(1704〜1711)に肝煎宅が火災に遭った際、村御印を外に置いたまま忘れ、雨などで汚損したため再発行された16。草高・免・付加項目は村ごとに異なるので、ここではこの一村だけを引いた。

五、1668 年:白山麓十八か村の幕領化

小松市史によれば、白山頂上の堂舎修築の権利をめぐっては戦国時代から村落間の争論があり、明暦元年(1655)に再燃した。直接には加賀藩領尾添村と福井藩預り領牛首・風嵐村の間で起きたが、杣取権をめぐる加賀藩と福井藩の領境争いでもあったため、両藩はただちに幕府への主張を始めた17。5 代藩主綱紀は寛文 6 年(1666)ころ、岳父保科正之や幕府勘定頭岡田義政とともに争論解決に乗り出し、加賀藩領二か村と牛首・風嵐、西谷五か村など計十八か村を幕領とする調整が図られた。寛文 8 年(1668)に正式に幕領となり、西谷五か村は美濃笠松代官杉田九郎兵衛の支配下に入った17。市史は、この幕領化が支配者の政治的な論理でなされたためか争論の根本的な解決とはならず、出作りで生計を立てていた地域の人々の暮らしにも大きな影響を与え、能登への移住を余儀なくされた例もあったとし、白山麓の対立が落ち着くのは幕府の裁決をみた十八世紀半ばだと書く17。

江戸時代の叙述史料『三壺聞書』巻之二十一「白山権現の社の事」もこの件を記す。寛文八年十月、杉田九郎兵衛が上使として江戸から白山の見分に来て、最終的に「彼是御公領に相定り」、加賀領の尾添・荒谷二か村の代わりに近江国海津浦で土地が渡された18。

六、前田綱紀と百工比照

前田綱紀像(下村観山筆)

5 代藩主前田綱紀。近代の画家下村観山が描いたもので、綱紀の生前の肖像ではない。出典:Wikimedia Commons(Public domain)

5 代藩主前田綱紀は正保 2 年(1645)に襲封し、享保 9 年(1724)に没した19。文化庁の国指定文化財等データベースによれば、綱紀は学問と美術工芸の発展に力を尽くし、古今の書物や中国から新たに渡った漢籍を求めた。美術工芸の奨励のため、紙・木・竹・染織・革・金属の素材を加飾する工芸技術の各種標本を作らせ、日本各地の産物見本には産地名を付けた。こうして整理された標本群が「百工比照」である19。石川県立図書館の展示解説は、名称は綱紀自身が付けたもので、「百工」は諸種の工芸または工匠、「比照」は比較対照の意味であり、綱紀の死後も収集が続けられ、約 2,800 品目が 10 の箱と付属の 1 箱に収められていると補う。第三号箱と第五号箱には、小松城や江戸屋敷など加賀藩関連の建物で使われた建築金具が納められている20。百工比照は重要文化財で、所有者は前田育徳会である19。

七、富山藩:前田正甫、売薬と参勤交代

前田正甫像(作者不詳)

富山藩 2 代藩主前田正甫。出典:Wikimedia Commons(Public domain)

富山藩 2 代藩主前田正甫(1649〜1706)は延宝 2 年(1674)に父の跡を継いで藩主となった2122。富山市郷土博物館の館報は、正甫は越中売薬の祖として知られるが、ほかにも製鉄を始め、細工師を招いて技術を伝えさせ、新田開発を奨励してそのための用水を開削したと書く21。売薬資料館の年表には、元禄 3 年(1690)に正甫が江戸城中で某大名の腹痛を快癒させた「という」伝えが載る4。同じ年表は、元禄ごろ富山藩が反魂丹商売人を調査して売薬業の支配に乗り出したと記す。反魂丹役所が置かれるのは江戸後期の文化 13 年(1816)である4。富山城址公園内には「富山藩第二代藩主 前田正甫像」がある23。

富山市の解説によれば、寛永 12 年(1635)の武家諸法度の改定で、外様大名は在府一年、四月交代という参勤交代制度が定められた。富山藩は分家の中で最も家格が高く、参勤交代では加賀藩と入れ違いで江戸と国元を行き来し、重要な局面では加賀藩の名代も務めた。交代時期は当初四月だったが、元禄 6 年(1693)から八・九月に変わった24。

猪谷関所館(富山市猪谷)

飛騨街道の関所資料館。撮影:Asturio Cantabrio、ライセンス:CC BY-SA 4.0、縮小して WebP に変換。出典:Wikimedia Commons

富山市の説明によれば、越中と飛騨を結ぶ飛騨街道は古くからの重要な交通路で、江戸時代には富山藩が神通川左岸に西猪谷関所を、加賀藩が対岸に東猪谷関所を置いた。西猪谷関所は橋本家と吉村家が代々関所番人を務め、通行人を監視し、出入りする米・塩・魚・木材などに口役銭を課した25。猪谷関所館は関係する古文書や関所の大型模型を展示している25。

八、1689 年:芭蕉の北陸路と千代女

松尾芭蕉像(中村芳中筆、イェール大学美術館蔵)

後世の画家による芭蕉像。出典:Wikimedia Commons(Public domain)

『おくのほそ道』は、松尾芭蕉が元禄 2 年(1689)に門人河合曾良を伴って江戸を発ち、奥州と北陸道を巡った紀行文である26。加賀に入るところで「わせの香や分入右は有磯海」と詠み、卯の花山とくりからが谷を越えて金沢に着いたのは七月十五日だった27。校註はこの日を陽暦八月二十九日と注している27。平安篇で書いた倶利伽羅峠は、ここでは芭蕉が通った地名として出てくる。

金沢で芭蕉は、俳諧で名の知られた一笑が去年の冬に早世したと知る。一笑の兄が追善を催し、芭蕉は「塚も動け我泣聲は秋の風」と詠んだ27。金沢・野町の願念寺は小杉家(一笑の家)の菩提寺で、門前にこの句の句碑、境内に「一笑塚」がある。拝観は境内のみで、日により拝観できない28。

小松では「しほらしき名や小松吹萩すゝき」と詠んだ27。多太神社では斎藤別当実盛の甲を見て「むざんやな甲の下のきり/″\す」と詠んだ27。芭蕉は本文で、この甲は実盛の討死後、木曾義仲が願状を添えて神社に納めたものと記す27。実盛が討たれた篠原の戦いは平安篇の範囲である。

多太神社の甲は国指定重要文化財で、境内に句碑がある。宝物館は事前予約制で拝観料 500 円、7 月下旬の「かぶとまつり」では甲が一般公開される29。小松市内には芭蕉の句碑があるすわまへ芭蕉公園と、芭蕉木像(小松市指定文化財)を伝える建聖寺もある。木像は同行した門人立花北枝が彫ったと伝えられ、見学には事前予約が必要である30。

白山市の千代女略年譜によれば、千代女は元禄 16 年(1703)に加賀国松任の表具師の家に生まれた。享保 4 年(1719)に芭蕉十哲の一人各務支考が訪ねて泊まり、俳道に導いた。宝暦 4 年(1754)に剃髪して尼となり素園と号した。宝暦 13 年(1763)、幕府から朝鮮使節団の接待役に任じられた加賀藩が、使節団への土産に千代女の俳句を選び、掛物 6 幅と扇子 15 本に 21 句を書いた31。千代女は安永 4 年(1775)に没した31。

九、18 世紀:正徳の一揆、加賀騒動、宝暦の大火と曳山

正徳 2 年(1712)八月十日、潮気を含んだ強い風が加賀に吹き、稲が被害を受けた3233。この年、加賀藩と大聖寺藩でそれぞれ農民の抗議が起きている。

  • 加賀藩石川郡:野々市市の説明によれば、農民は年貢米を減らしてもらうため被害の調査を藩に願ったが、野々市を含む石川郡は調査の対象から外された。9 月から 10 月にかけて、調査を求める大勢の農民が金沢に押しかけ、一揆となった。藩は石川郡で 22 人を牢に入れた32。
  • 大聖寺藩江沼郡:小松市史によれば、藩は現地調査の結果、減免しないと決めた。十月四日に数百人が矢田野に集まり、六日に那谷村に泊まっていた調査の役人を襲い、那谷村肝煎宅と那谷寺不動院を壊して「六分は御用捨とする」証文を取り付けた33。結果として年貢米は六割減となった。翌年春に計十二名が斬罪に処せられたが、罪状はいずれも一揆とは別件で、最後に那谷村肝煎権四郎だけが首謀者として斬首された33。市史は、同じ年に石川郡と越中砺波郡でも同様の騒ぎがあったと記す33。

市史は一揆の史料として、『那谷寺通夜物語』『土民騒乱記』など民間でひそかに流布したものと、藩側の『御用番日記』『政隣記』などを挙げている33。

加賀藩では 6 代藩主前田吉徳の死後に加賀騒動が起きた。南砺市の文化財解説によれば、吉徳の信任を受けて累進した大槻伝蔵は、延享 2 年(1745)に吉徳が没した後、藩主の病中の処置が不当であったなどの理由で蟄居を命じられ、寛延元年(1748)4 月に五箇山の祖山村へ流刑となり、のちに牢中で自害した34。石川県立歴史博物館の解説は、吉徳の御居間坊主から人持組(3800 石)へと破格の出世を遂げた大槻伝蔵が、吉徳の側室真如院と密通していたとして越中五箇山に流刑になったとまとめ、藩財政はこのころから悪化したと書く2。処分理由の書き方が二つの資料で異なるため、両方を示した。前田土佐守家 5 代当主前田直躬(1714〜1774)は、大槻朝元(伝蔵)弾劾の急先鋒だったという35。財政立て直しのため宝暦 5 年(1755)に銀札と呼ばれる紙幣が発行されたが、かえって経済の混乱を招いた。藩内では祖法「改作法」に立ち返るか、産物方政策など新しい方策をとるかで議論が続いた2。

宝暦 9 年(1759)、金沢城下の大火で金沢城が全焼した10。

こまつ曳山交流館みよっさ(小松市八日市町)

曳山 2 基を常設展示する交流館。撮影:Suikotei、ライセンス:CC BY 4.0、縮小して WebP に変換。出典:Wikimedia Commons

小松市の説明によれば、曳山子供歌舞伎は明和 3 年(1766)に龍助町と西町から始まったと伝えられる。曳山は最盛期に 16〜18 基あり、文化 10 年ごろまでに 10 基となり、昭和の 2 度の大火で 2 基が焼失して現在は 8 基である7。こまつ曳山交流館みよっさは曳山 2 基を常設展示している7。

1780 年ごろ以降は江戸後期にあたり、金沢では寛政 4 年(1792)に藩校が創設され、文化 5 年(1808)に二ノ丸御殿が全焼した1036。

十、いま訪ねられる場所

本文に関連する見学可能な施設と地点。マーカーをクリックすると Google Maps で開く。地図の表記は中国語(繁体字)。地図:© OpenStreetMap contributors © CARTO。⚠ お出かけ前に公式情報でご確認ください。
地域場所種類説明
金沢玉泉院丸庭園庭園(再現)1634 年作庭、2015 年再現。入園無料12
金沢辰巳用水遊歩道用水・遊歩道1632 年完成。錦町〜大道割の約 2km11
金沢尾崎神社神社・重要文化財1643 年完成の金沢城の東照宮13
金沢願念寺寺院・句碑芭蕉「塚も動け」の句碑と一笑塚。境内のみ、日により拝観不可28
小松小松城天守台城跡利常の隠居城の本丸櫓台石垣。小松高校敷地内のため見学は要問い合わせ6
小松小松天満宮神社1657 年に利常が造営8
小松多太神社神社・句碑実盛の甲。宝物館は要予約29
小松建聖寺・すわまへ芭蕉公園寺院・公園芭蕉木像は要予約。公園に句碑30
小松こまつ曳山交流館みよっさ展示施設曳山 2 基を常設展示7
小松那谷寺寺院1640 年利常が再興。1712 年正徳の一揆の舞台533
高岡瑞龍寺寺院・国宝利長の菩提寺。仏殿・法堂・山門が国宝9
富山富山城址公園(前田正甫像)公園・銅像富山藩の居城。園内に正甫像323
富山富山市民俗民芸村 売薬資料館展示施設9:00〜17:00、一般 100 円。2026 年 11 月 24〜27 日休館37
富山猪谷関所館展示施設飛騨街道の関所文書と模型。大人 150 円。月曜(祝日を除く)、祝日の翌日(土日を除く)、12 月 28 日〜1 月 4 日休館25

参考資料

Footnotes

  1. 江戸時代(1603〜1868 年、初期・前期/中期/後期/末期の区分):https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3 ↩ ↩2

  2. 石川県立歴史博物館 常設展「近世」(加賀藩の成立と領地、御三家に準じる待遇、寛文 10 年の村御印、加賀騒動と大槻伝蔵・真如院、1755 年の銀札、改作法と産物方):https://www.ishikawa-rekihaku.jp/exhibition/04.html ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5

  3. 富山市「国元富山藩と富山城の概要」(寛永 16 年成立、利次十万石・利治七万石、百塚新城の中止、富山城を居城に):https://www.city.toyama.toyama.jp/etc/maibun/toyamajyo/edo-toyamahan/syoukai/syoukai2.htm ↩ ↩2 ↩3

  4. 富山市売薬資料館「富山売薬関連年表」(1640 年分藩、1690 年正甫の腹痛の伝え、元禄ごろの反魂丹商売人調査、1816 年反魂丹役所):https://www.city.toyama.toyama.jp/etc/minzokumingei/baiyaku/baiyaku_nenpyou.html ↩ ↩2 ↩3

  5. 小松市「前田家ゆかりの地」(寛永 16 年の隠居城許可、翌年入城、万治元年の死去、芦城・小松浮城、那谷寺の寛永 17 年再興、小松天満宮の別当能順、来生寺の鰻橋御門):https://www.city.komatsu.lg.jp/soshiki/1016/bunka_rekishi/2/2170.html ↩ ↩2 ↩3 ↩4

  6. 小松市「小松城跡」(寛永 16 年の大改修、鰻橋御門と小松高校内の本丸櫓台石垣、発掘で見つかった石垣・堀・いぶし瓦、見学は各施設に問い合わせ):https://www.city.komatsu.lg.jp/soshiki/1052/kokabetsurekishijiman/chisho_koka/8937.html ↩ ↩2 ↩3

  7. 小松市「歌舞伎のまち」(寛永 17 年の利常隠居と城下の発展、明和 3 年に龍助町と西町から始まった曳山子供歌舞伎、曳山数の変遷、みよっさの常設展示 2 基):https://www.city.komatsu.lg.jp/soshiki/1006/siseiyouran/2553.html ↩ ↩2 ↩3 ↩4

  8. こまつ観光ナビ「小松天満宮」(明暦 3 年に利常が造営、小松城・金沢城の鬼門線上):https://www.komatsuguide.jp/spot/detail_169.html ↩ ↩2

  9. 高岡市「高岡山瑞龍寺」(利長の 1609 年高岡城築城と 1614 年の死去、正保 3 年の利常による改造着手、山上善右衛門嘉広、「高岡町図の弁」、承応 2 年着手説、国宝の範囲、文政元年の山門再建):https://www.city.takaoka.toyama.jp/gyosei/kanko_bunka_sports/rekishi_bunkazai/9/3/5928.html ↩ ↩2 ↩3 ↩4

  10. 石川県金沢城・兼六園管理事務所「歴史について」年表(寛永 8 年金沢城焼失、寛永 9 年辰巳用水、宝暦 9 年城下の大火と金沢城全焼、寛政 4 年、文化 5 年二ノ丸御殿全焼):https://shiro-niwa.pref.ishikawa.lg.jp/history.html ↩ ↩2 ↩3

  11. 金沢市「辰巳用水」(寛永 9 年完成、『三壺聞書』の法船寺大火契機、隧道と伏越、木管から石管へ、上辰巳町で取水、兼六園の曲水、錦町〜大道割約 2km):https://www4.city.kanazawa.lg.jp/soshikikarasagasu/rekishitoshisuishinka/gyomuannai/1/1/18478.html ↩ ↩2 ↩3 ↩4

  12. 金沢旅物語「玉泉院丸庭園」(寛永 11 年に利常が作庭、2015 年再現、玉泉院の名の由来、色紙短冊積石垣と段落ちの滝、入園無料):https://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/everyone/spot/detail_52485.html ↩ ↩2 ↩3

  13. 金沢市「尾崎神社」(前田光高が勧請した北ノ丸の東照宮、木原氏の設計、寛永 20 年完成、本殿・拝殿分離の最初期の例、明治 11 年移転):https://www4.city.kanazawa.lg.jp/soshikikarasagasu/bunkazaihogoka/gyomuannai/3/1/2/5025.html ↩ ↩2 ↩3

  14. 石川県立図書館「金沢図 大型絵図で金沢をみる」(正保年間の幕府命令、万治 3 年・寛文 7 年・延宝年間の城下図、寛文 7 年図が現存最古、1/600、延宝図に見える変化、県指定文化財):https://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/shosho/digicolle/curation/DIGICOLLE04 ↩ ↩2 ↩3

  15. 富山県立図書館「承応四年明暦二年村々御印物等」(御印物=村御印・物成状、肝煎の保管、富山藩の承応 4 年交付、新川郡での加賀藩明暦 2 年御印の継続使用、文久 2 年の写し):https://www.lib.pref.toyama.jp/gallery/collection/intro.aspx?isnvmngcd=1%3A1052 ↩

  16. 小松市立博物館「西又村村御印」(寛延 3 年算用場による再発行、寛文十年九月七日の御印、館の翻刻と解説):https://jmapps.ne.jp/kmthk/det.html?data_id=364 ↩ ↩2

  17. 小松市『図説こまつの歴史』近世 13「白山麓十八か村の幕領化と西谷の村々」pp.86–87(明暦元年の争論再燃、尾添村と牛首・風嵐村、綱紀・保科正之・岡田義政、寛文 8 年の幕領化、杉田九郎兵衛、住民への影響、十八世紀半ばの幕府裁決):https://www.city.komatsu.lg.jp/material/files/group/39/313hakusanroku.pdf ↩ ↩2 ↩3

  18. 『三壺聞書』巻之二十一「白山権現の社の事」(寛文八年十月の上使杉田九郎兵衛、「彼是御公領に相定り」、尾添・荒谷と近江海津の替地):Wikisource 翻刻 https://ja.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%A3%BA%E8%81%9E%E6%9B%B8/%E5%B7%BB%E4%B9%8B%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%B8%80 ;1931 年刊本 NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/1176709 ↩

  19. 文化庁 国指定文化財等データベース「百工比照」(綱紀の正保 2 年襲封〜享保 9 年歿、書物と漢籍、工芸標本、産地名、重要文化財、前田育徳会):https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/7123 ↩ ↩2 ↩3

  20. 石川県立図書館「百万石文化まんだら」綱紀が収集した百工比照(名称の由来、綱紀没後の継続収集、約 2,800 品目、10 箱と付属 1 箱、小松城や江戸屋敷の建築金具):https://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/shosho/curation/KIKAKUTEN0005 ↩

  21. 富山市郷土博物館「博物館だより」第 36 号 収蔵品紹介「元旦試筆 前田正甫」(延宝 2 年藩主継承、売薬の祖、製鉄・細工師・新田開発):https://www.city.toyama.toyama.jp/etc/muse/tayori/tayori36/tayori36.htm ↩ ↩2

  22. 石川県立図書館 人物詳細「前田正甫」(生没年 1649〜1706、没年月日 宝永 3 年 4 月 19 日):https://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/shosho/furucolle/list/prsn11478 ↩

  23. 富山市「富山城址公園内の前田正甫像と千歳桜の碑石の外国語解説文」:https://www.city.toyama.lg.jp/bunka/kanko/1010539/1018250.html ↩ ↩2

  24. 富山市「参勤交代(国元富山と江戸藩邸を結ぶ道)」(寛永 12 年の武家諸法度、加賀藩と入れ違いの往来、加賀藩の名代、元禄 6 年から八・九月交代):https://www.city.toyama.toyama.jp/etc/maibun/toyamajyo/edo-toyamahan/sankinkoutai/sankinkoutai.htm ↩

  25. 富山市「猪谷関所館の概要」(飛騨街道、西猪谷・東猪谷関所、橋本家と吉村家、口役銭、開館時間・休館日・観覧料):https://www.city.toyama.lg.jp/bunka/bunka/1010547/1010551/1010554/1007477.html ↩ ↩2 ↩3

  26. おくのほそ道(1689 年に河合曾良と江戸を発ち奥州・北陸道を巡る):https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%81%AE%E3%81%BB%E3%81%9D%E9%81%93 ↩

  27. 松尾芭蕉『おくのほそ道』杉浦正一郎校註、青空文庫(「加賀の國」「金澤」「太田神社」の段と校註):https://www.aozora.gr.jp/cards/002240/files/61619_78128.html ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5 ↩6

  28. 金沢旅物語「願念寺」(小杉家の菩提寺、芭蕉句碑と一笑塚、境内のみ拝観):https://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/spot/detail_10077.html ↩ ↩2

  29. こまつ観光ナビ「多太神社・多太神社宝物館」(実盛の甲、句碑、宝物館の事前予約、拝観料、かぶとまつり):https://www.komatsuguide.jp/spot/detail_124.html ↩ ↩2

  30. こまつ観光ナビ「芭蕉が歩いた小松路を訪ねて」(すわまへ芭蕉公園、建聖寺の芭蕉木像と立花北枝、事前予約):https://www.komatsuguide.jp/modelcourse/detail_26.html ↩ ↩2

  31. 白山市「千代女略年譜」(1703 年松任に生まれる、1719 年各務支考の来訪、1754 年剃髪し素園と号す、1763 年朝鮮使節団への土産、1775 年没):https://www.city.hakusan.lg.jp/bunka/bunkashinko/1002773/1002775/1002776.html ↩ ↩2

  32. 野々市市「正徳の一揆と野々市」(1712 年八月十日の強い西風、石川郡の調査対象外、9〜10 月の金沢への押しかけ、22 人の入牢):https://www.city.nonoichi.lg.jp/soshiki/37/1362.html ↩ ↩2

  33. 小松市『図説こまつの歴史』近世 19「正徳の一揆」pp.98–99(大聖寺藩領の減免願い、十月四日矢田野の集結、六日の那谷村事件、六分御用捨の証文、年貢六割減、翌年の十二名斬罪と権四郎、同年の石川郡・砺波郡の騒ぎ、一揆の史料):https://www.city.komatsu.lg.jp/material/files/group/39/319shotoku.pdf ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5 ↩6

  34. 南砺市文化芸術アーカイブス「大槻伝蔵之碑」(延享 2 年の吉徳没後、病中の処置不当などを理由に蟄居、寛延元年 4 月祖山村へ流刑、牢中で自害):https://culture-archives.city.nanto.toyama.jp/culture/bunkazai/bunkazai0199/ ↩

  35. 前田土佐守家資料館「歴代当主の紹介」五代直躬(1714〜1774、大槻朝元弾劾の急先鋒):https://www.kanazawa-museum.jp/maedatosa/about/page_2.html ↩

  36. 金沢市「加賀藩校扁額」(寛政 4 年創設の明倫堂・経武館):https://www4.city.kanazawa.lg.jp/soshikikarasagasu/bunkazaihogoka/gyomuannai/3/1/1/siteibunkazai/2/5914.html ↩

  37. 富山市民俗民芸村「売薬資料館」(1984 年開館、約 6,000 点収蔵):https://www.city.toyama.toyama.jp/etc/minzokumingei/baiyaku/baiyaku.html ;富山市民俗民芸村(開館時間、観覧料、令和 8 年 11 月の休館案内):https://www.city.toyama.toyama.jp/etc/minzokumingei/ ↩